第2話 1962〜1971年

〜クラカメ・ファンに捧ぐ〜 国産一眼レフカメラ、50年の記録
 
●第2話 1962〜1971年
 一眼レフカメラの国産第1号機誕生から10年を経過すると、カメラ産業も揺籃期を過ぎ、各社ともに独創的なメカニズムを搭載した機種を続々と登場させてゆく。なかでも露出計をボディに内蔵する技術が進み、その結果、一眼レフカメラにもAE(自動露出)の時代が訪れるようになった。
■文:中村文夫

外付け式露出計の登場

 ライカM3が登場した1954年(昭和29年)を機に、日本のカメラメーカーはレンジファインダー機に見切りをつけ、一眼レフカメラの開発に全力を傾けるようになる。その結果、1962年(昭和37年)に誕生した国産一眼レフカメラは、わずかな期間で大きな発展を遂げることになった。その原動力になったのが、以下の3つの機能である。これらの機能が実用化されなければ、今日のような一眼レフカメラの隆盛はなかっただろう。
(1)クイックリターンミラー
(2)ペンタプリズム式ファインダー
(3)自動絞り(完全自動絞り)
 こうして現在の一眼レフカメラの原型が完成したが、まだ露出計という大問題が残っていた。当時、すでに電気式の単体露出計は実用化されていたが一般にはほとんど普及していなかった。当時のカメラマンはフィルムに添えられた説明書に記載されている露出表を参考にしたり、己のカンに頼って露出を決めていたのだ。
 最初の一眼レフカメラ用露出計は、専用アクセサリーの形で登場した。いわゆるクリップオンと呼ばれるタイプの外付け式露出計である。これらの露出計は、単純に露出を測るだけではなく、カメラ側と連動しなければ意味がない。ここで大きな問題になったのが、シャッターダイアルとの連動機構だ。当時の一眼レフカメラのシャッターダイアルは、低速と高速の2つに別れていたり、たとえひとつにまとめられていてもダイアルの目盛りが等間隔に並んでいないのが普通だった。また、シャッターを切るとダイアルが回転することも大きなネックとなっていた。つまり露出計と連動させるためには、カメラのメカニズムを根本から見直すことが要求されたのである。

ボディに内蔵された露出計

 最初は外付けアクセサリーとして登場した一眼レフカメラ用露出計だが、やがて露出計をカメラ本体に内蔵した機種が現れる。世界ではじめて連動式露出計を内蔵した35mm一眼レフカメラは、ドイツのツァイス・イコン社が発売した「コンタレックス」だが、日本で初めて露出計を内蔵した一眼レフカメラは、1960年(昭和35年)に登場したコニカFである。
 このカメラの露出計はカメラ側の絞りとシャッターダイアルの両方に連動する本格的なもので、シャッターダイアルと絞りリングを操作し、ボディ上面のメーターを定点に合わせれば適正露出を得ることができた。コニカFに採用された受光素子はセレン光電池、いわゆる太陽電池である。
 セレン光電池は光が当たると起電する性質があって電源が不要である。しかし感度が低く、微光量を測るには大きな面積が必要で、カメラ本体に組み込むには限界があった。そこで新たな受光素子として硫化カドミウムを利用したCdSが登場する。CdSは光が当たると電気抵抗が変化する性質があるものの、露出計に利用するためには電源が必要となる。しかし小さな素子で高い感度が得られるので、電源さえなんとかなればカメラに組み込むのに打ってつけのものだった。
 日本で初めてCdSによる露出計を内蔵したカメラは、日本光学(現ニコン)から1962年(昭和37年)に登場したニコンFフォトミックである。このカメラは露出計を内蔵したフォトミックファインダーを、従来からあったニコンFボディに組み合わせたもので、シャッターと絞りの両方に連動した。
 また同年には千代田光学(後のミノルタ)がボディの左肩に受光素子を内蔵したミノルタSR-7を発売。露出計がボディから外れない一体型という点では、日本初のCdS露出計内蔵一眼レフカメラである。

開放測光、絞り込み測光の論争

 1960年(昭和35年)、ドイツ・ケルンで開催されたフォトキナに、画期的な露出計測方式を採用した1台の35mm一眼レフカメラが登場する。旭光学(現ペンタックス)が参考出品したスポットマチックである。このカメラは、撮影用レンズを通過した光を測るという世界初のTTL測光を採用。どんな焦点距離のレンズを装着しようと、いつも同じ条件で測光できるうえに、接写時やフィルター使用時のめんどうな露出倍数計算を不要にした。(TTLは、Through The Lensの略で旭光学が作った造語)
 この試作機を改良して誕生したのが、1964年(昭和39年)発売のアサヒペンタックスSPである。なお、アサヒペンタックスSPは発表こそ早かったが、発売までに4年の歳月が費やされた。この間に東京光学(現トプコン)がTTL測光を採用したカメラを開発。アサヒペンタックスSPの前年にトプコンREスーパーを発売し、世界初のTTL露出計内蔵一眼レフカメラの栄冠を手中に収めた。
 トプコンREスーパー、アサヒペンタックスSPに続き、各社からTTL測光を採用した一眼レフカメラが続々と登場した。しかし同じTTL測光でも、絞りを開放のまま測光する「開放測光」と、実際に撮影するF値に絞り込んだ状態で測光する「絞り込み測光」の2つの方式が存在したのである。
 「開放測光」は、ファインダー像が明るい状態で測光できることが最大の特徴だが、自動絞りで絞り込んだときに起こるF値のバラツキの影響で露出が狂う可能性、さらにF値情報をカメラボディに伝える機構をレンズに追加する必要があった。
 これに対して「絞り込み測光」は、自動絞りによる露出誤差が出にくいうえ、レンズ側に改良を加えなくてもTTL測光が実現できるという利点がある。しかし、測光のときに絞りを絞る操作が必要なことに加え、ファインダー像が暗くなるという欠点があった。
 当時、この測光方式については、どちらが有利かという論争が巻き起こったが、最終的に「開放測光」陣営が勝利。現在のすべての35mm一眼レフカメラがこの方式を採用していることはご存じのとおりだ。

電子シャッターが開いた両優先AEへの道

 コンパクトカメラのように、一眼レフカメラを自動露出(AE)化する動きも早くからはじまっていた。日本ではじめて自動露出を実現したカメラは、1965年(昭和40年)発売のコニカオートレックスである。TTLではないが、ボディ側からF値を制御することに成功した。
 AEの普及に大きく貢献したのが、電子制御式シャッターである。コニカオートレックスの時代、シャッター速度の制御は機械式で行われていた。機械制御式シャッターは、シャッターダイアルの回転でカムの組み合わせを変えてシャッター速度を制御する。そのためF値を先に決めておいて、後からカメラにシャッター速度を選ばせることが技術的に困難だったのだ。
 これに対し、シャッター速度優先AEなら、シャッター速度を先に決めてしまえば後から変更する必要がないし、絞りについては、絞り込みレバーをストップさせる位置を決めるだけで制御できる。コニカが一眼レフカメラのAE化に当たり、シャッター速度優先AEを選んだのはこのためだ。
 だが、被写界深度を優先して作画する場合は、絞りを先に決める絞り優先AEが有利である。そこで考え出された方法が、シャッター速度を電気的に制御することだった。
 1971年(昭和46年)に旭光学が発売したアサヒペンタックスESは、電子制御によりシャッター速度が無段階に変更できる方式を採用。シャッターダイアルをオートの位置にセットしておけば、任意に選んだF値に対して適正露出となるよう、シャッター速度が自動的に変化する機構をはじめて採用した。
 こうして2種類の自動露出が誕生したが、TTL測光のときに「開放測光か絞り込み測光か」で論争が起こったように、AEの方式についても「絞り優先AE」派と「シャッター速度優先AE」派の間で論争が起きる。しかし、1977年(昭和52年)に2つのAE方式を搭載した両優先AEのミノルタXDが登場。結論が出ないまま、この戦いは終結した。

後発メーカーの市場への参入

 オリンパスが最初に発売した一眼レフカメラは、オリンパスペンFだ。このカメラはコンパクトカメラで一世を風靡したオリンパスペンシリーズの集大成ともいうべき製品で、世界で唯一のレンズ交換式ハーフサイズ一眼レフカメラだ。発売は1963年(昭和38年)。1966年(昭和41年)にはTTL露出計を内蔵したオリンパスペンFTも登場している。
 オリンパスがフルサイズの35mm一眼レフカメラを発売したのは1972年(昭和47年)。ねじ込み式のプラクチカマウントを採用したオリンパスFTLと、小型軽量を売り物にしたオリンパスM-1(後にOM−1に改称)が相前後して発売されている。ことにOM-1は大きくて重いという、それまでの一眼レフカメラの常識を打ち破るカメラとして話題を呼び、その後のOMシリーズへと発展する。
 OMシリーズには、ダイレクト測光を採用したOM-2、スポット測光を採用したOM-3やOM-4などユニークな製品が非常に多い。しかし2001年(平成14年)に、デジタルカメラを中心に据えるという経営方針が打ち出され、オリンパスはついに銀塩一眼レフカメラ市場からは撤退した。
 リコーが一眼レフカメラ市場に参入したのは1960年代後半である。同社は1959年(昭和34年)にミランダカメラと業務提携し、ミランダ製カメラを販売した実績があるが、1967年(昭和42年)に自社ブランドのカメラとしてリコーシングレックスTLSを発売。最初はねじ込み式のプラクチカマウントを採用していたが、1977年(昭和52年)から、ペンタックスと同じKマウントに変更、現在に至っている。
 とくにマウント変更以後、リコーは低価格戦略を積極的に打ち出し、1978年(昭和53年)には標準レンズ付きで3万9,800円(通称サンキュッパ一眼)という驚異的な低価格を実現したリコーXR-500を発売。その後も得意分野である電子技術を生かし、1984年(昭和59年)にマルチモード機のリコーXR-Pマルチプログラム、ワインダーを内蔵したリコーXR-Xなどを送り出している。

フィルムやレンズメーカーも参入

 フォクトレンダーブランドのレンジファインダー機、ベッサシリーズで一躍有名になったコシナは、1969年(昭和44年)にコパル製の縦走り金属幕シャッターを採用したTTL絞り込み測光式のコシナハイライトを発売。その後もOEM(相手先ブランドでの製造)を中心に、大量の一眼レフカメラを生産している。
 フジフイルムは、1970年(昭和45年)にフジカST701で一眼レフカメラ市場に参入した。このカメラはTTL絞り込み測光だが、光に対する応答性が高いSPC(シリコン・フォト・セル)を受光素子に採用。これ以降、SPCはCdSに代わる受光素子として盛んに使われるようになる。1972年(昭和47年)には、世界ではじめてLED(発光ダイオード)を露出表示に使用したフジカST801を発売。その後も普及機市場で健闘するが、1980年代半ばには中判とコンパクトを残して35mmフィルム一眼レフカメラ市場から撤退している。
 また交換レンズメーカーであるシグマは、1975年(昭和50年)にシグママーク1を発売。現在でもSA-9など意欲的な製品を送り出している。
 一眼レフカメラ市場への新規参入ではないが、1973年(昭和48年)には、ドイツの名門カール・ツァイスがヤシカと提携を結び、翌年にコンタックスRTSが発売されている。ボディのデザインはポルシェ・デザインで製造はヤシカ、レンズ設計はカール・ツァイスによるもので、日独提携カメラとして話題になった。なお1983年(昭和58年)、ヤシカはファインセラミックスメーカーとして有名な京セラと合併するが、京セラの事業再編の余波を受けてカメラ部門は終了、姿を消してしまった。

協力:ペンタックスカメラ博物館
出典:カメラマンEX
参考文献:
「戦後日本カメラ発展史」東興社刊
「日本写真機大図鑑」「日本カメラ工業史」日本写真機工業界編
「日本カメラの歴史」毎日新聞社刊
「光とミクロとともに ニコン75年史」株式会社ニコン刊
「日本の歴史的カメラ展図録」日本写真機光学機器検査協会刊
「カメラレビュークラシックカメラ専科」アサヒソノラマ刊
「カメラの横顔2〜13」小倉磐夫 ペンタックスファミリー誌連載
「旭光学80年代に飛躍する一眼レフカメラのパイオニア」貿易之日本社刊
「キヤノン史、技術と製品の50年」キヤノン株式会社刊
「35年のあゆみ」ミノルタカメラ株式会社刊
「写真とともに100年」小西六写真工業株式会社刊
「富士フイルム50年のあゆみ」富士写真フイルム株式会社刊

アサヒペンタックス スポットマチック
アサヒペンタックス スポットマチック
1960年(昭和35年)試作品
'60年のフォトキナに出品されたTTLスポット測光可能な一眼レフカメラ。SPの名で市販が開始されたのは4年後のこと

コニカ F
コニカ F
1960年(昭和35年)発売
国産初の露出計“内蔵”一眼レフカメラ。と同時に世界初の1/2,000秒を実現したフォーカルプレーンシャッター搭載機でもある。ただし日本では発売されず輸出のみにとどまった。

ペンタックス S2スーパー
ペンタックス S2スーパー
1962年(昭和37年)発売
受光素子にCdSを使用した露出計を取り付けた状態。キヤノンフレックスと同じくシャッターダイアルと露出計が連動する。

ニコン F(フォトミックファインダー付き)
ニコン F(フォトミックファインダー付き)
1962年(昭和37年)発売
ニコンFのファインダーにCdS式露出計を内蔵。向かって左側にある丸い窓が受光部だ。

ミノルタ SR-7
ミノルタ SR-7
1962年(昭和37年)発売
ボディ前面、向かって右側にCdS式露出計を内蔵。シャッターダイアルは連動するが、絞りは手動でセットした。

トプコン REスーパー
トプコン REスーパー
1963年(昭和38年)発売
市販モデルとして世界初のTTL測光を採用。ミラーの裏側にCdS受光部がある。測光は開放測光。

オリンパス ペンF
オリンパス ペンF
1963年(昭和38年)発売
世界で唯一のレンズ交換式ハーフサイズ一眼レフカメラ。ロータリーシャッターや横方向に動くミラー、ポロプリズムの採用など独創性が非常に高い。

アサヒペンタックス SP
アサヒペンタックス SP
1964年(昭和39年)発売
スポットマチックをベースに開発された市販機。試作機のスポットマチックは部分測光だったが、SPでは平均測光に変更された。

ニコマート FT
ニコマート FT
1964年(昭和39年)発売
金属幕縦走り式のコパルスケアシャッターを採用した普及機。ニコン初のTTL露出機。

ニコン F フォトミックT
ニコン F フォトミックT
1964年(昭和39年)発売
ニコンFのファインダーにTTL測光機能を内蔵して誕生。

キヤノン ペリックス
キヤノン ペリックス
1965年(昭和40年)発売
キヤノン初のTTL測光式一眼レフカメラ。ペリクルミラーと呼ばれる半透明のミラーを採用することで、ミラーの上下運動を不要とした。

コニカ オートレックス
コニカ オートレックス
1965年(昭和40年)発売
日本で初めて自動露出を実現した一眼レフカメラ。測光は外光式で、撮影モードはシャッター速度優先式。シャッターは機械制御式だ。

ミノルタ SRT101
ミノルタ SRT101
1966年(昭和41年)発売
画面の上部と下部の明るさを別々のCdSで測り、その平均値で露出を決定する独自のCLC(Contrast Light Compensator)システムを採用したTTL露出機。現在の分割測光の草分け。

リコー シングレックスTLS
リコー シングレックスTLS
1967年(昭和42年)発売
リコーが自社ブランドで国内で初めて発売した一眼レフカメラ。CdSによるTTL露出計を内蔵、測光は絞り込み式だ。シャッターはコパル製でマウントはプラクチカマウント。

コニカ FTA
コニカ FTA
1968年(昭和43年)発売
世界初のTTL測光によるAE一眼レフカメラ。撮影モードはシャッター速度優先式。

コシナ ハイライト
コシナ ハイライト
1960年(昭和35年)発売
トプコンPRのミラーをクイックリターンミラーに改良したモデル。

フジカ ST701
フジカ ST701
1970年(昭和45年)発売
富士写真フイルム初の35mm一眼レフカメラ。受光素子にSPCを採用している。

アサヒペンタックス ES
アサヒペンタックス ES
1971年(昭和46年)発売
電子制御式シャッターを採用したAE一眼レフカメラ。撮影モードは絞り優先で、F値を先に決めるとシャッター速度が無段階で変化する。

オリンパス M-1
オリンパス M-1
1972年(昭和47年)発売
軽量&コンパクトをコンセプトとして誕生したフルサイズ35mm一眼レフカメラ。名称がライカの製品と似ていたので、後にOM-1に改称された。

フジカST901
フジカST901
1974年(昭和49年)発売
フジフイルム初のAE機。レンズマウントはねじ込み式だが、開放測光を実現するため、定位置でレンズを固定するストッパーが付いている。

コンタックス RTS
コンタックス RTS
1974年(昭和49年)発売
ドイツの名門、カール・ツァイスと日本のヤシカが技術提携して誕生。RTSはリアル・タイム・システムの略。

オサノン デジタル750
オサノン デジタル750
1976年(昭和51年)発売
ファインダー内にシャッター速度を1の位までデジタル表示するユニークな一眼レフカメラ。輸出専用機だったので日本では発売されていない。

シグマ マーク1
シグマ マーク1
1975年(昭和50年)発売
レンズメーカーのシグマが初めて発売した一眼レフカメラ。機械制御式シャッターを採用したマニュアル露出機。

ミノルタ XD
ミノルタ XD
1977年(昭和52年)発売
シャッター速度優先、絞り優先の両方を搭載した世界初の両優先AE機。AE論争に終止符を打った記念すべき1台。





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