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〜クラカメ・ファンに捧ぐ〜 国産一眼レフカメラ、50年の記録
 
●第1話 1952〜1961年
 日本で初めて35mm一眼レフカメラが発売されたのは1952年(昭和27年)のこと。旭光学(現ペンタックス)が発売した「アサヒフレックスI」型が第1号だ。それから50年を越える歳月が流れ、日本は世界一のカメラ大国に成長した。シリーズ第1話は、国産一眼レフカメラの誕生から各社の製品が出そろうまでの最初の10年間を、年代を追いながら解説する。
■文/撮影:中村文夫

アサヒフレックスの誕生

 アサヒフレックスを作った旭光学工業の創立は1919年(大正8年)。眼鏡用レンズを製造する小さな町工場として誕生した。戦前は、映写機用レンズのほか、小西六(後にコニカ、現コニカミノルタ)やミノルタ(現コニカミノルタ)向けにカメラ用レンズを製造。戦争中は軍の指定工場となり、双眼鏡をはじめ光学兵器の製造に携わる。
 1945年(昭和20年)、終戦とともに会社は一旦解散するが、翌年に進駐軍向けの双眼鏡用レンズ研磨で再スタート。やがて双眼鏡の輸出に本格的に乗り出し、経営基盤を固めてゆく。
 1950年(昭和25年)、ベンチャー精神旺盛な松本三郎(後に社長に就任)の発案により、35mm一眼レフカメラの開発に着手。当時はライカをはじめとするレンジファインダー機が主流だったが、松本は近い将来に一眼レフの時代が到来することを信じていたのだ。
 開発を担当したのは、小西六出身の2人の技術者。翌年の5月には早くも試作機が完成し、量産の準備がはじまった。1952年(昭和27年)春、100台の製品が完成、旭光学の一眼レフという意味で「アサヒフレックス」と名付けられた。発売されたアサヒフレックス1型は、国産初の35mm一眼レフとして注目を浴びたが、広く普及させるうえで重大な問題点を抱えていた。それは現在の一眼レフで常識になっているクイックリターンミラーをまだ実現していなかったことだ。
 1954年(昭和29年)、アサヒフレックス2B型が登場する。このカメラの最大の特徴はクイックリターンミラーを採用したことである。シャッターを切るとスプリングの力でミラーが一気に上昇し、露光が終わると瞬時に戻るその機能は、それまでの一眼レフの欠点であったファインダーの“ブラックアウト”を克服、カメラ業界に革命をもたらした。アサヒフレックス2B型のファインダーはまだウエストレベル式だったが、1957年(昭和32年)、ついにペンタプリズムを採用したアサヒペンタックスが登場。クイックリターンミラーとペンタプリズムという2つの技術の合体により、これ以降の一眼レフは飛躍的な発展を遂げることになる。

他メーカーも市場へ次々に参入

 旭光学に次いで35mm一眼レフ開発に名乗りを上げたのは、中判カメラで有名なマミヤ光機(現マミヤ・オーピー)である。マミヤ光機は写真家兼発明家の間宮精一が1940年(昭和15年)に起こしたカメラ会社で、戦前からマミヤシックスなどのスプリングカメラを製造。戦後もいち早く復興を果たし、16mmフィルムを使用するミニチュアカメラ、35mmコンパクトカメラ、二眼レフなどで成功を収めていた。マミヤ光機は、アサヒフレックスが誕生した1952年(昭和27年)、プリズムフレックスという試作品を発表。このカメラは1961年(昭和36年)にマミヤプリズマットNPという名前で製品化されている。
 1954年(昭和29年)には、オリオン精機産業(後のミランダカメラ)が試作機のフェニックスを発表。翌年、「ミランダT」として製品化され、日本初のペンタプリズムを採用した一眼レフになった。ミランダは1947年(昭和22年)に新聞社で使われる機材の修理、改造を目的に設立され、1950年(昭和25年)からは接写用など35mmカメラ用アクセサリーを製造していたが、これらの事業が一眼レフの開発につながったのだ。同社は1959年(昭和34年)にリコーと技術提携を結ぶが、激化する開発競争に破れ、1976年(昭和51年)に倒産している。
 このほか1954年(昭和29年)から翌年にかけて、常磐精機が発売したレンズシャッター式一眼レフのファーストフレックス35、試作品で終わった荒江光学のアルテアなどが登場している。
 1954年(昭和29年)といえば、日本のカメラ業界が大転換を迫られた年でもある。フォトキナでライカM3がデビュー。あまりの完成度の高さに、ライカ型カメラを製造していた日本の多くのカメラメーカーはこれ以降、ライカを目標にカメラを開発することをあきらめ、一眼レフの開発に本腰を入れるようになる。つまり、ライカが引導を渡したことがきっかけで、日本のカメラ業界は今日の発展をみるのである。

目を見張る機構の進歩

 次に一眼レフ市場に参入したメーカーは、東京光学(現トプコン)である。同社は1932年(昭和7年)創立の光学メーカーで、戦前は主に光学兵器を製造。戦後になって民需産業に転換し、早い時期から普及型35mmカメラや二眼レフなどを手がけていた。一眼レフの研究にも果敢に取り組み、1957年(昭和32年)に第1号機のトプコンRが完成している。このカメラの最大の特徴はクイックリターンミラーを搭載したことである。この機構を世界ではじめて実現したカメラはアサヒフレックス2Bだが、特許関係の資料によると、東京光学の方が先に考案したことになっている。このほか自動絞りやTTL開放測光など、東京光学が最初に実現した新機構は数え切れない。
 千代田光学精工(後のミノルタ、現コニカミノルタ)が一眼レフを発売したのは、1958年(昭和33年)である。同社は1927年(昭和2年)に日独写真機商店として創立。蛇腹式のニフカレッテというハンドカメラで、カメラメーカーとしてスタートを切っている。戦前は手に入りにくくなった羊皮の代わりにベークライトを用いたミノルタベストなどユニークな商品を開発。戦争中は主に光学兵器を製造し、光学ガラスの製造にも手を染めている。戦後はセミ判のスプリングカメラ、セミミノルタで再スタートを切り、35mmコンパクトカメラや二眼レフなど多彩なカメラを製造。1948年(昭和23年)からは、ライカ型レンジファインダー機のミノルタ35も発売している。ミノルタは一眼レフを発売する前年にライカM3の対抗機種としてミノルタスカイという試作機を完成させていたが、距離計連動式カメラの時代はもう終わったとの判断から発売を見送り、これに代わる新製品として一眼レフが選ばれたのだ。最初の製品は「ミノルタSR-2」。クイックリターンミラーを採用し、35mm一眼レフでは初のセルフタイマーも内蔵していた。

短命に終わったカメラたち

 1958年(昭和33年)年にはクイックリターンミラーと自動絞りの両方を実現した画期的なカメラが登場する。自動絞りは、シャッターを切るとそれまで開放状態だったレンズの絞りが絞り込まれ、露光が終わると自動的に元に戻る機能である。自動絞りが実用化されるまで、一眼レフの絞りはシャッターを切るたびに手で絞りを操作する手動絞り、あるいは絞りが絞られるまでは自動だが、復元は手動で行う半自動絞りが常識だった。つまり常時、絞り開放の明るい状態でファインダーを見ることができなかったのである。
 この問題を解決した最初のカメラは帝国光学(後のズノー光学)の製造した「ズノー」である。帝国光学は1930年(昭和5年)にレンズ研磨からはじまった光学メーカーで、大口径レンズを得意としていた。ズノーは東京の椿山荘で記者発表会を開くなど華々しいデビューを飾ったが、故障による返品が多く、実際には500台余りが製造されただけで終わってしまう。まさに幻のカメラである。なお同社は、主なレンズの供給先であった8mmメーカーのアルコ写真工業倒産の余波を受け、1961年(昭和36年)に倒産している。

キヤノン、ニコンの参入

 いよいよキヤノンの登場である。キヤノンの前身である精機光学研究所は、1933年(昭和8年)にライカに匹敵する35mmカメラを国産化する目的で創立されたカメラ会社だ。戦前は日本光学(現ニコン)の全面的協力を得てハンザキヤノンを送り出している。戦後もレンジファインダー機にこだわり続け、他社がこの市場から次々に撤退するなか、最後までライカ型レンジファインダー機を作り続けたことで知られている。だが次の時代を見すえ、一眼レフの開発も怠りなく行われていたのだ。最初の製品は1959年(昭和34年)発売の「キヤノンフレックス」。専用露出計との連動機能を備えていることが特徴だった。
このキヤノンフレックスの発売から間もなく、今度は日本光学が「ニコンF」を引っさげて一眼レフ市場に参入する。日本光学は、三菱財閥の総帥、岩崎小彌太が1917年(大正6年)に設立した光学メーカーで、戦前は主に海軍のための光学兵器を製造。戦後は民需産業に転向し、1948年(昭和23年)からレンジファインダー式カメラの製造をはじめていた。日本光学もやはりミノルタやキヤノンと同様に、一眼レフに活路を見出そうとしていたのである。日本光学の参入により、後に“一眼5社”と呼ばれるペンタックス、ミノルタ、キヤノン、ニコン、オリンパスのうち4社の製品が出そろったのだ。

第1回カメラショーに19機種が出品

 1959年(昭和34年)、感材だけでなくカメラメーカーとして日本でいちばん古い歴史を誇る小西六が、縦走り金属幕シャッターを採用した「コニカフレックス」を試作、東京で開かれた国際見本市に出品している。さらに栗林写真工業(後のペトリ)が低価格を売り物にした「ペトリペンタ」を発売。同社は木製三脚や暗箱つくりからはじまった老舗で、創業は1907年(明治40年)。戦後は主に二眼レフや35mmコンパクトカメラを製造していた。しかし、長引いた労使紛争と開発力不足のため1977年(昭和52年)に倒産している。このほか二眼レフのアイレスフレックスで知られるアイレス写真機製作所(1965年に倒産)が製造したレンズシャッター式一眼レフの「アイレスペンタ35」も1959年に登場している。
 1960年(昭和35年)は第1回の日本カメラショー(現在のフォトエキスポ)が開催された年である。ショーには19機種もの一眼レフが登場。それまで一眼レフを発売していなかったヤシカ(現京セラ)、小西六、風邪薬のコルゲンコーワで有名な興和(1980年頃、カメラ部門から撤退)もはじめて一眼レフを出品した。日本写真機工業会の統計によれば、これ以降、一眼レフの出荷台数が一気に上昇する。
 翌年、マミヤ光機が試作機発表だけに終わっていた「プリズマットNP」を発売。国産第1号機のアサヒフレックス誕生からちょうど10年で、ほぼ全社の製品が出そろったことになる。なお、オリンパス、リコーをはじめとする一眼レフ後発組が参入するのは、1960年代後半から70年代にかけてである。

【文中・敬称略】

撮影協力:ペンタックスカメラ博物館
参考文献:
「光とミクロとともに ニコン75年史」(株式会社ニコン刊)
「戦後日本カメラ発展史」(東興社刊)
「日本写真機大図鑑」/「日本カメラ工業史」(日本写真機工業会編)
「カメラレビュークラシックカメラ専科」(アサヒソノラマ刊)
「ズノーカメラ誕生」(萩谷 剛著・アサヒソノラマ刊)
「日本カメラの歴史」(毎日新聞社刊)
「カメラの横顔2〜13」(小倉磐夫・ペンタックスファミリー誌)
「旭光学80年代に飛躍する一眼レフのパイオニア」(貿易之日本社刊)
「キヤノン史、技術と製品の50年」(キヤノン株式会社刊)
「35年のあゆみ」(ミノルタカメラ株式会社刊)
「写真とともに100年」(小西六写真工業株式会社刊)
出典:カメラマンEX

アサヒフレックス I型
アサヒフレックス I型
1952年(昭和27年)発売
国産初の35mm一眼レフ。ミラーはシャッターボタンに連動して上下するレバーセット式で、ファインダーはウエストレベル式。レンズはタクマー50mmF3.5。最初は絞りが手動式だったが後にプリセット式に改められた。

アサヒフレックス IIB型
アサヒフレックス IIB型
1954年(昭和29年)発売
世界ではじめてクイックリターンミラーを採用。シャッターを切った後、ファインダーが真っ暗になるというブラックアウトから開放された。

ミランダ T
ミランダ T
1955年(昭和30年)発売
前年にフェニックスとして登場。商標問題のためミランダと名前を変えて発売された。日本ではじめてペンタプリズムを採用した一眼レフ。

アサヒペンタックス AP
アサヒペンタックス AP
1957年(昭和32年)発売
旭光学のカメラとして、はじめてファインダーにペンタプリズムを採用。クイックリターンミラーとペンタプリズムの採用により、機動性が一気に高まった。

トプコン R
トプコン R
1957年(昭和32年)発売
東京光学の35mm一眼レフ第1号機。アサヒフレックスIIBに次いでクイックリターンミラーを採用。ファインダーは交換式だ。

アサヒペンタックス K
アサヒペンタックス K
1958年(昭和33年)発売
世界初の半自動絞りを採用。自動絞りが完成するまでの過渡的な方式である。1/1,000秒の高速シャッターを実現した高級機。

ミノルタ SR-2
ミノルタ SR-2
1958年(昭和33年)発売
ミノルタ初の一眼レフ。ペンタプリズムとクイックリターンミラーを採用しているが、絞りは半自動式で、フィルムを巻き上げるまで開放に戻らない。

ズノー
ズノー
1958年(昭和33年)発売
国産一眼レフとしてはじめて自動絞りを内蔵、現在の一眼レフの形に限りなく近づいた。ただし、このカメラは故障が多く、実際には500台程度しか製造されなかった。

ニコン F
ニコン F
1959年(昭和34年)発売
ニコンの一眼レフ第1号機。視野率100%のファインダー、交換式のフォーカシングスクリーンなど、当時からプロ仕様と呼べるスペックを備えていた。

キヤノン フレックス
キヤノン フレックス
1959年(昭和34年)発売
キヤノンの一眼レフ第1号機。交換式ペンタプリズムファインダーをはじめ、近代的一眼レフの条件をすべて備えていたが、巻き上げレバーがボディ底部にあり、三脚撮影が不便なためわずか3ヶ月で製造が中止された。

トプコン PR
トプコン PR
1959年(昭和34年)発売
シチズンからシャッターの供給を受け、製造されたレンズシャッター式一眼レフ。レンズは固定式で、広角、望遠用のフロントコンバージョンレンズが用意されていた。

ペトリ ペンタ
ペトリ ペンタ
1959年(昭和34年)発売
栗林写真工業初の一眼レフ。フォーカルプレーン式でありながらレンズシャッター機並みの低価格を実現し、一眼レフの普及に貢献した。

アイレス ペンタ35
アイレス ペンタ35
1959年(昭和34年)発売
アイレス初の一眼レフ。レンズシャッター式で絞りは自動絞り。ミラーはクイックリターン式ではない。

トプコン ウィンクミラー
トプコン ウィンクミラー
1960年(昭和35年)発売
トプコンPRのミラーをクイックリターンミラーに改良したモデル。

オートマチックトプコンR(通称トプコンRII)
オートマチックトプコンR(通称トプコンRII)
1960年(昭和35年)発売
トプコンRの絞りを自動絞りに改良したほか、セルフタイマーを追加したモデル。

キヤノン フレックスRP
キヤノン フレックスRP
1960年(昭和35年)発売
キヤノンフレックスのペンタプリズムを固定式にした普及機。キヤノンフレックスと同様、シャッターダイアルと連動する露出計が取り付けられる。

キヤノン フレックスR2000
キヤノン フレックスR2000
1960年(昭和35年)発売
1/2,000秒の高速シャッターを実現したキヤノンフレックスの後継機。

ニコレックス35
ニコレックス35
1960年(昭和35年)発売
レンズ固定式のレンズシャッター式一眼レフ。ペンタプリズムの代わりにポロミラーを採用。レンズシャッター式一眼レフとしては、はじめてセレン光式の露出計を内蔵している。

ヤシカ ペンタマチック
ヤシカ ペンタマチック
1960年(昭和35年)発売
ニッカカメラを吸収したヤシカが、ニッカのフォーカルプレンシャッター技術を生かして製造した一眼レフ。

コニカF
コニカF
1960年(昭和35年)発売
前年の国際見本市に出品したコニカフレックスにセレン光式露出計を追加して発売された。小西六初の一眼レフであると同時に、国産一眼レフ初の露出計内蔵機である。

コーワ フレックス
コーワ フレックス
1960年(昭和35年)発売
興和の一眼レフ第1号機。レンズシャッター式でレンズは固定式だ。

アサヒペンタックス S3
アサヒペンタックス S3
1961年(昭和36年)発売
完全自動絞り機構を搭載したスーパータクマーレンズ付きで発売。シャッターダイアルと連動するクリップオンタイプの露出計もアクセサリーとして用意された。

マミヤ プリズマットNP
マミヤ プリズマットNP
1961年(昭和36年)発売
試作から10年を経てやっと製品化されたマミヤ初の35mm一眼レフ。

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